円山応挙 果子図 二題組

 葡萄も柘榴と並んで国内外で豊穣のシンボルとされる瑞果で、そのワインも神聖な飲み物として古来より広く人々に愛されています。
 また、この作品のように蔓と共に描かれる「葡萄」は繁栄を意味するもので、日本の家紋にも使われるなどたいへん神聖な象徴果実として大切にされてきました。奈良大和路の名刹、薬師寺のご本尊「薬師如来」の台座にも葡萄の紋が施されているほか、西洋でもキリスト教の国のみならず様々な国で神聖な果物として尊ばれています。
 日本でも古くから培われており、古事記にも登場します。黄泉の国にわたった伊邪那岐命を救ったのも葡萄の実でした。
 たわわに実った葡萄の姿にはなんとも心和む豊かさがあります。
 冠をいただいたようなその姿から柘榴は果物の王様ともいわれ、古来より豊穣、子孫繁栄、子宝授与の瑞果(おめでたい果物)として洋の東西を問わず尊ばれております。よく言われる「紅一点」「紅」は柘榴の花の色です。
 また、柘榴は生命、魂を浄化するとされるほか、西・東洋医学では胃痛、下痢、嘔吐、筋肉・関節痛、頭痛、精神安定などに効果があるとされ、実用においても重宝されてきました。
 さらには家に柘榴の絵を飾ると子宝に恵まれるという言い伝えも広く世界各地に伝わる吉祥の果実です。
 あふれんばかりにぎっしりと詰まった果実が描かれたこの「柘榴之図」には、応挙のやさしい心がこめられているようです。

写生の巨匠 円山応挙

江戸時代の天才画家円山応挙は、京都(現亀岡市)の貧しい農家の次男として生を受けました。当時の長男以外のこどもがそうであったように幼くして奉公に出される中、京都の玩具商で働くようになり、のぞきからくりの「眼鏡絵」を描く仕事を与えられます。そのまじめで誠実な性格もあって、店の主人から応挙の絵の才能を見いだされ、京狩野派の絵師への師事をゆるされます。
 そんな中、皇室ゆかりの寺院にも出入りするようになり、優れた美術品を目にする機会にも恵まれます。
 それまでの日本の絵画技法には無かった遠近感を強調する描き方を「眼鏡絵」で習得した応挙は、自らの創作でもその技法を取り入れ、奥行き感のある立体的な独自の表現方法を編み出していきました。単にものの形を写すだけではなく、そのものの生命をも画面に現す「生き写し」という画法です。応挙は真実を写す画家として当時から天才と讃えられるようになりました。
 本作「果子図」は但馬国(兵庫県)の名刹ご寺院大乗寺様から応挙に直々に依頼されたもので、寺内「山水の間」に描かれ、重要文化財の指定を受けています。

高野山真言宗 大乗寺

 745(天平17)年に行基菩薩によって開かれた名刹で、西国薬師霊場でもある大乗寺は別名「応挙寺」としても有名です。
 円山応挙はたいへん長い時間をかけて幾度と無く大乗寺を訪れ、弟子たちと共に大乗寺の客殿すべての障壁画、天井絵、屏風、欄間などを描きました。建物そのものが立体曼荼羅となるたいへん特長のある貴重な建造物であり、「応挙寺」の名前の由来でもあります。
 この客殿と作品165点やご本尊「十一面観音立像」などが国の重要文化財に指定されており、本作もそのうちの2点です。